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外資系経理マンのページ

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小説(16)

あの夜、執行部3人は、アンテラジャパンの現状、深田の江頭に対する思いのあまり、会社を私物化する姿勢を 三人のなかでは英語に明るい安藤がしたため親会社のフィッシャー会長にファックスを送った、と翌日、安藤から松田は聞いた。
 それからしばらく、普通に時がすぎていった。かわったことといえば、団交が終わって、組合活動がみえにくくなったことだ。ときどき、安藤が社長室にはいることはあったが、それが組合活動に関することなのか、業務、つまり財務経理に関することなのか、松田にはわからなかったからだ。ただ、タイミング的に任月堂への発注を控えていたから、その資金の手当の相談かと思った。
 任月堂は、製造発注をかける前にお金を振り込まなければ、ソフトの製造にかかってくれない。したがって、まとまったお金をまず、用意しなければならない。そのために、問屋各社からの発注書を担保に銀行から借り入れを起こすのが、常であった。むろん、自己資金があるときは問題ないのだが、このときは、実際の先行するタイトルの売れ行きが芳しくなく、資金のポジションとしては難しいところにあった。そのころ、任月堂が優良企業とビジネス雑誌でよく取り上げられていたが、こうしたお金の流れを確立していたわけだから、無借金で経営できてあたりまえの話であった。
 そして1週間すぎた。ファックスに対する反応が全くといっていいほど社員には伝わってこなかった。執行部3人はいつもと変わらない毎日をおくっていて、組合の集会を開く気配もなかった。情報がなにもはいってこないと、人間は不安になる。
 10日めの昼休みのこと、松田がアンテラの前にあるラーメン屋にはいると、安藤が眼鏡のガラスを曇らせながら、みそラーメンを、つるつると音をたてながら食べていた。
「いいですか?」
「いいよ」
 安藤は昼は一人で食べに行く事が多い。傍らには 先週買った西村京太郎の本が、安藤特製のブックカバーにおさまって、小皿で頼んだらしい餃子のわきに置いてあった。
「あの件は、どうなりましたか?」
 麺をたべおわり、器を両手でかかえて、ごっくんと安藤は一気にスープを飲み干すと、冷えた水を口にふくんだ。
「あの件?ちょっとあせらずに、まてよ」
「あせってはいませんよ。ただ、変な噂、耳にしたんで」
「噂ってなんだ?」
「安藤さんたちが辞めるっていう噂なんですが」
安藤はわざと視線を合わせないようにするためなのか、眼鏡をとって、眼鏡の曇りと、飛び散ったスープの油分をテーブルの上においてあったテッシュボックスからテッシュを数枚とりだし、ふきはじめた。
 松田がその噂を聞いたのは、比較的中立な営業の高山からであった。
「そんなわけないだろう。俺が組合をほっぽり出してどうして辞めるんだ」
 「ならいいんですが」
といいながら、不自然な昨今の安藤の挙動に多少の「?」は感じざるをえなかった。


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